科研費 CaseStudy11
ヒ素発がんの新規代謝的活性化機構の解明
- 硫黄転移酵素の関わる代謝的活性化 -
環境衛生学研究室 教授 山中健三
今から十数年前に中国ハルピン医科大学で報告された無機ヒ素(亜ヒ酸)の急性骨髄性白血病の治療効果は、その後、慢性骨髄性白血病にも劇的な奏効を示すことが明らかにされ、現在では白血病治療において亜ヒ酸製剤は医薬品としての重要な位置を占めています。一方で、ヒ素は古くから「毒物」としての印象が深く、昭和30年人工栄養児で衰弱死や肝臓肥大が続出したドライミルクヒ素混入事件、和歌山カレー中毒事件などの事例が知られています。国際的には飲料水のヒ素汚染が深刻な問題となっており、数千万人規模の健康影響が懸念されています。その健康影響の最大の問題点としては、皮膚、肺、肝臓、膀胱に対して発癌性を示すことであります。また、平成22年12月、生物にとって主要元素であるリンの代わりに周期表で同族元素であるヒ素が遺伝情報を担うDNA構成元素としている細菌が米国で発見されました。科学的論議は今後多々あるかと思いますが、生体を構成する主要元素が別の元素、特にヒ素で代用できる生物の存在は大変興味深い研究成果と思われます。
このように、生物影響に対して多様性を有するヒ素に関して、最重要研究課題としては発癌をはじめとする慢性疾患発症機序の解明、ヒ素を多く含む海産食品の健康リスク評価、労働作業環境中に存在する揮発性ヒ素化合物のバイオモニタリング法の開発などが挙げられます。共通するのはヒ素の代謝による毒性活性化機構の把握という研究目標であります。1990年以降、ヒ素の代謝、動物発癌実験での証拠、遺伝毒性での証拠、発癌メカニズムの一部が明らかになり、国際化学物質安全性計画(IPCS, 2001年)や国際癌研究機関(IARC, 2004年)は、ヒ素の解毒的代謝と考えられてきたメチル化代謝(図1)、特にジメチルヒ素の代謝生成は発癌の観点からはむしろ毒性増強機構であるとの結論に至り、2004年IARCは無機ヒ素の代謝物であるジメチルアルシン酸は動物に対して発癌性を示すと結論づけました。それを受けて、欧州食品安全機関(EFSA, 2009)、IARC(2010)、FAO/WHO合同食品添加物専門家会議(JECFA, 2010)も同様な勧告を行いましたが、海産物には無機ヒ素のみならず、多様な化学形態を示す有機ヒ素が存在し、それら代謝経路の複雑さゆえに、安全性に関する健康リスク評価はなされていないのが現状です。
ジメチルアルシン酸の代謝中間体である3価ジメチル化ヒ素(DNAIII)ならびにジメチルヒ素ラジカルがDNA傷害などを起こすことから、ジメチルアルシン酸の発癌性に係わる重要な活性代謝物と考えられておりますが、メチル化ヒ素の硫黄付加反応が関わる代謝物も高い毒性を示すことが明らかにされつつあり、その代謝活性化プロセスと発癌影響の解明が急がれています。本研究は、ジメチルヒ素よりも毒性が強く、ヒ素発がんの活性代謝物と疑われているジメチルチオアルシン酸に着目し、その代謝生成機構および発癌への関与を明らかにすることで、ヒ素化合物の発癌リスク評価の基礎となる知見を提供することを目指しています。
図1. 無機ヒ素のメチル化を中心とした代謝機序